大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

青森地方裁判所 昭和34年(行)18号 判決

原告 十和田観光電鉄株式会社

被告 青森県地方労働委員会

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

第一、当事者双方の申立

原告訴訟代理人は、「被告が、訴外十和田観光電鉄労働組合と原告間の青森県地方労働委員会昭和三四年(不)第三号不当労働行為救済申立事件につき、昭和三四年一〇月七日付でした命令は、これを取り消す。訴訟費用は、被告の負担とする。」との判決を求め、被告訴訟代理人らは、主文と同趣旨の判決を求めた。

第二、原告の請求の原因

一、被告が別紙命令書のような救済命令を発するまでの経緯

(一)、訴外若宮三吉は、原告会社の自動車部観光課に勤務する従業員であつて、昭和三三年二月、十和田観光電鉄労働組合の書記長に就任したものであるが、成田一と事前協議のうえ、同年一二月八日ころ開催の同労働組合の執行委員会において、若宮は、昭和三四年四月施行の青森県十和田市議会議員選挙の立候補者として、当時、同労働組合執行委員長兼十和田地区労働組合協議会(以下、十和田地区労という。)議長をしていた訴外成田一を推せんすることを提案し、十和田地区労に対しても盛んにその宣伝活動をしたものである。その結果、成田は、十和田地区労の推せんを受けてこれを承諾し、原告の承認を得ないで、立候補の届出を了したものであるが、成田の右行為は、原告会社の就業規則第一六条第一号(従業員は、次の場合は会社の承認を得なければならない。一、公職選挙法による選挙に立候補しようとするとき。)に違反するものであり、若宮は、これを知りながら、成田の出納責任者となつてその届出をしたものである。若宮の右行為は、成田の就業規則違反行為を推進したものであるから、同人の行為も前記就業規則第一六条第一号に違反するものである。

(二)、そこで、原告は、若宮に対し、

1 昭和三四年五月一二日、就業規則第八六条(懲戒を要する者に、その執行前に、出勤停止を命ずることがある。たゞし、出勤停止期間は、原則として二週間以内とする。前項の出勤停止期間は欠勤の取扱をすることがある。)により事実調査のため、同日以降同月二五日まで出勤停止を命じ、

2 同月二五日、同就業規則第九〇条、労働協約第一〇〇条に基く懲罰委員会の議を経て、就業規則第一六条、第八四条六号(従業員が次の各号の一に該当するときは、減給する。たゞし、情状によつて譴責に止めることがある。六、規則、令達に違反したとき。)、第八五条第一四号(従業員が次の各号に該当するときは、懲戒解雇にする。たゞし、情状により諭旨解職、降職又は減給に止めることができる。一四、その他前各号に準ずる行為があつたとき。)に該当するものとして、同就業規則第八五条但書を適用して、金一、五〇〇円一ケ月減給(たゞし、後日右処分が労働基準法第九一条違反であることが判つたので日額平均賃金の半額である金二六〇円に減額した。)並びに中央停留所勤務を命ずる旨の降職転勤処分に付した。

(三)、ところが、若宮は、同日、原告の右処分を承認しながら、翌二六日に、成田は立候補するに当り、原告会社の承認を得ていたと称して、右処分を拒否する旨の通告書を、原告に提出し、就業を拒否した。右行為は、原告の業務命令に違反するものであるところから、原告は、同日、同人に対し、更に、同日以降六月八日まで(二週間)の出勤停止処分に付したところ、同人の所属する前記十和田観光電鉄労働組合は、被告に対し、原告を相手方として原告の若宮に対する右各処分は、労働組合法第七条第一号及び第三号に該当する不当労働行為であるとして、救済を申し立てた。そこで、原告は、若宮が、原告の右処分に服する意思がないばかりか、就業を拒否したので、右出勤停止期間経過後、後記被告委員会の命令が出るまで、労働基準法第二六条に則り、一〇〇分の六〇の給料を支給して二週間ごとに出勤を停止したのである。

(四)、被告委員会は、前記申立を昭和三四年(不)第三号事件として受理し、審理したうえ、昭和三四年一〇月七日付で別紙命令書のように「被申立会社は、申立組合の組合員若宮三吉に対してなした左記処分を取り消して、原職に復帰就労させ、処分の期間中同人が受けるはずであつた給与全額を支払え。

一、昭和三四年五月二五日言渡しの一、五〇〇円一月減給並びに降職転勤の懲戒処分

二、同月一二日から二五日までの出勤停止処分(無給)

三、同月二六日から同年六月八日までの出勤停止処分(無給)

四、同年六月九日以降の出勤停止処分の全部(給与一〇〇分の六〇支給)」との命令を発し、翌八日、右命令書の写を原告会社に交付した。

二、命令のかし

(一)、被告委員会が、本件命令において、原告の若宮に対する前記出勤停止と懲戒処分をもつて、同人の正当な組合活動をしたことを理由に不利益な取扱をしたものとして、労働組合法第七条第一号の不当労働行為を構成するものと認定判断したが、右は、事実を誤認し、法律の解釈を誤つた違法がある。

(二)、そればかりでなく、若宮三吉は、前記金一、五〇〇円一月減給及び中央停留所勤務を命ずる旨の懲戒処分につき、昭和三四年五月二五日言渡を受けて直ちに、これを承認したものであるから、同人所属の十和田観光電鉄労働組合は、右処分を不当労働行為として救済を申し立てることができないのであるが、本件命令は、これを看過してされた違法がある。

三、よつて、本件救済命令の取消を求めるため、本訴に及ぶ。

第三、請求の原因に対する被告の認否と主張

一、1 請求原因事実一の(一)のうち、若宮三吉が、原告会社の自動車部観光課勤務の従業員であり、昭和三三年二月十和田観光電鉄労働組合の書記長になつたこと、成田一が十和田地区労の推せんにより昭和三四年四月施行の十和田市議会議員選挙に立候補することを承諾して、その届出をしたこと、若宮が成田の出納責任者になつたこと、原告会社の就業規則に原告主張のような規定があることは、いずれも認めるが、その余の事実は否認する。

2 同一の(二)は認める。

3 同一の(三)のうち、原告会社が、若宮に対し、その主張のような各出勤停止処分をしたこと及び十和田観光電鉄労働組合が被告に対し、その主張のような不当労働行為救済申立をしたことは、いずれも認めるが、その余の事実は、否認する。

4 同一の(四)は認める。

5 同二の(一)、(二)は、すべて否認する。

二、1 原告会社の就業規則第一六条第一号は、立候補者本人ではなく、立候補者の出納責任者になつたに過ぎない若宮については、その適用がないものである。

2 仮に、若宮の行為が、右就業規則第一六条違反になるとしても、立候補者本人ではなく、出納責任者として立候補者に協力したに過ぎないのであるから、その責任は、原告会社に対する労務の提供に如何なる影響を及ぼしたかを中心に考えるべきであり、若宮は、選挙運動中も平常と変りなく勤務し、原告会社に対する労務の提供には、全く支障がなかつたばかりでなく、将来の労務の提供に影響を及ぼすことも考えられないこと等を勘案すると原告会社の若宮に対する本件一連の処分は、極めて過酷であり、その根拠は、労働基準法のみならず、原告会社の就業規則中にも、これを発見することができないのである。

3 原告の若宮に対する出勤停止及び金一、五〇〇円一月減給、中央停留所勤務を命じた処分が、不当労働行為になることは、被告が別紙命令書の理由中「当委員会の判断」第一ないし第四においてした認定判断のとおりであつて、本件命令には、原告の主張するような取消原因となるかしは存しない。

第四、被告の主張に対する原告の反論

一、被告の主張二の1、2の事実は争う。

二、就業規則第一六条の制定理由は次のとおりである。

原告会社の前々社長小笠原八十美は、昭和一一年二月以来衆議院議員として、著名な政治家であつたが、昭和二〇年以来昭和三一年一二月二七日の死亡に至るまで、原告会社の社長として、自己の選挙のため、原告会社を極端に利用したのである。会社の幹部は、その能力の如何にかゝわらず一族郎党をもつて占め、会社の従業員は、適不適にかゝわらず選挙後援者の推せんによつてこれを採用し、バス路線は、採算のとれるとれないにかゝわらず選挙地盤に延長し、選挙運動期間中は、現業に必要な最少限の人員を除き、その余の従業員は全部会社の費用をもつて自己の選挙運動に従事させたのである。そして、同人死亡後、小笠原亀一が原告会社の社長に就任したが、間もなく辞任し、昭和三二年四月、現社長杉本行雄がその後任に就任したのである。右当時における原告会社の未払借入金は、二億余円、繰越赤字約二、九〇〇万円で会社の経営は危機に追い込まれていたのである。そこで、会社の再建には、経費の節約、人材の採用、従業員の配置転換を要することもち論であつたが、特に会社の経営から政治を隔離する必要があり、常勤重役はもち論、従業員も政治に関与させない方針をとり、昭和三三年九月三〇日施行の就業規則に前記第一六条の規定を設けたのである。右規定は、従業員みずから公職の選挙に立候補しなくても、身替候補を立てること、または従業員をして立候補させる場合にも適用がある。けだし、原告会社は、立候補した従業員からは労務の提供を受けることができなくなり、極端な場合には、立候補者が会社の重要な地位にあるか、または、容易に代りの適任者を得られない場合には、会社は、たちまち業務に支障を来すことになるからである。従つて、本件においては、若宮の労務の提供に支障があつたかどうかは重要な問題ではなく、若宮が会社の業績向上及び秩序の維持に協力的であつたかどうかを問題にすべきである。そればかりでなく、出納責任者は、会計の責任者として公職選挙法上刑罰を課せられる場合もあるのであつて、このような重要な地位に就く際は、就業規則に規定がなくても、事前に会社の承認を得べきである。

三、被告は、別紙命令書理由第三、三〇行目において、「……若宮三吉は、衰退の一途をたどる組合の書記長として、組織の維持、強化に努力し、一方会社に対する交渉及び抗争に当つては、常に指導的立場にあつて、組合活動を為してきたもので、云々」とし、この点から、本件懲戒処分は、原告会社の不当労働行為意思に基くものであると断じているが、これは全面的に争う。

もつとも、十和田観光電鉄労働組合が、昭和三二年、三三年と連続して、原告会社の最も忙しい夏季に、待遇改善等を要求してストライキを決行し、不法な実力行使をして組合運動がせん鋭化したことはある。

原告会社は、前記二に記述したとおり、昭和三二年四月当時、破産寸前の経営状態にあつたのであるが、従業員の待遇改善には、会社の業績向上が先決問題であり、そのためには、原告は企業内の秩序維持を重視するとともに、人事については適材適所主義を貫いて来ているのである。しかも、近時、地方における自動車運送事業においては、定期路線よりも、観光バスによる収益が会社の最も重要なものとなつて来ているのであつて、昭和三二―三三年において、原告が、若宮を三本木駅助役から観光課勤務にしたのも、右に述べたように、観光課が原告会社にとつて重要な部門であり、かつ、大学卒業の成田一の後任として小学校卒業の若宮をもつて、充てたのである。被告委員会は、右配置転換をも不当労働行為になるとして、これら従前の原告会社と若宮との関係を捉えて、以て、本件懲戒処分をも、不当労働行為意思に基くものとしたのであるが、これは、原告会社の実情を無視した皮相的見解といわなければならない。

第五、証拠〈省略〉

理由

一、本件命令の発出

被告が、昭和三四年一〇月七日付で、別紙命令書のような救済命令(以下、本件命令という。)を発し、その命令書の写が同月八日原告に交付されたことは、当事者間に争いがない。

二、本件命令の適否

(一)、若宮三吉の原告会社における地位と組合経歴

成立に争いのない甲第三一号証の一、二、第四三号証、乙第二号証、証人成田一、若宮三吉の各証言、原告会社代表者杉本行雄尋問の結果を総合すると、若宮三吉は、昭和二二年、原告会社に入社し、同二八年六月五日付で運輸課三本木駅助役、次いで、同三三年七月二三日付で観光課勤務となり、その間、原告会社に以前から存在した唯一の労働組合である従業員の組合(後記認定の如く、昭和三二年一二月五日右組合の外更に十和田観光電鉄従業員労働組合が成立した。)に加入し、昭和二七―八年ころ一年間、右労働組合の書記長に就任したことがあることを認めるに足り、次いで、同三三年二月右以前から存した労働組合の書記長に就任し、現在に及んでいることは当事者間に争いがない。

(二)、組合の分裂と若宮三吉の組合活動

成立に争いのない甲第一五号証の一、二、第一八号証の一、第一九号証の一ないし四、第二〇、二一号証、第二七号証の一、三、五、第三〇号証、第四一号証の一、第四二号証、乙第二号証のうち若宮三吉、中野渡鉄也の供述記載、同第四、五、六号証、前記証人成田一、若宮三吉の各証言、原告会社代表者杉本行雄尋問の結果部分を総合すれば、前記以前から存した労働組合(以下、第一組合という。)は、結成当時から組合活動として見るべきものがなかつたが、昭和三二年三月、成田一を執行委員長として、原告会社に対し、賃上げ等を要求して団体交渉をし、同月二五日、原告会社との間に、職務給の階級を定め、従業員に対し、一率に一ケ月金一、五〇〇円昇給、年令給、勤続給、家族手当支給等の協定を獲得したのをはじめとして、次第にその活動が活溌となり、同年七月二二日ごろには、夏季手当支給、労働協約の締結ほか四項目を要求して原告と団体交渉を行つたが、右団体交渉は、結局、労働協約のシヨツプ条項について、原告がオープンシヨツプを主張、組合側は、ユニオン・シヨツプを主張して、互いに譲らなかつたため決裂し、組合側は、同年八月七日から部分ストに入り、翌八日から九日未明にかけての青森県地方労働委員会の調停も効なく、九日朝、全面ストライキに突入、延長一五三キロメートルに及ぶ原告会社のバス、電車がストツプし、折りから青森県十和田市で開催の青森県下警察官柔剣道大会、全国高校相撲大会出場の関係者及び一般市民の足を奪い、その後、被告委員会の調停により、同年八月一七日、労使間において、労働協約のシヨツプ条項については、今後の団体交渉により決定することとし、若し、同年一一月三〇日までに決定を見ないときは、労使双方または一方から地労委に調停を申請し、その調停案に服すること、夏季手当として、基本給、家族手当の三割支給その他の協定の成立によつて、右争議が終了したこと、しかし、当時の原告会社は、前々社長時代からの経営不振が続いていたため、昭和三二年三月に就任した現社長杉本行雄が、会社の再建を企図していた矢先だつただけに、原告としては、組合の右要求を容れたことは、相当な打撃であつたこと、そこで、杉本行雄は、従業員に対し、原告の経理面は、赤字続きであるから会社の再建に協力して欲しい旨訓示したりなどして会社の再建に乗り出したが、たまたま、同人が、当時、前記三本木駅助役であつた若宮三吉に対して、助役は非組合員である方がよい等といつて、同人に対し、暗に、組合脱退をすすめたり、原告会社の部・課長クラスの者が労働組合員に対し、個々に、組合脱退に影響を与えるような言動をしたため、前記労働組合の申立により、昭和三三年五月二六日付で、被告委員会から原告は、労働組合員に対し組合脱退をしようようしてはならない等の救済命令が出されたこと、しかし、右原告会社の部課長クラスの者の言動もその一要因となつて、昭和三二年一〇月ころ、右労働組合から脱退した有志者を中心に十和田観光電鉄再建同志会が結成され、同年一二月五日十和田観光電鉄従業員労働組合(以下第二組合という。)が誕生し、その勢力は、当初七〇名位であつたのが、漸次、膨張して昭和三四年当時には、三〇〇名位の組合員を擁することになり、他面、昭和三二年当時二七〇名の組合員を持つていた前記第一組合は、第二組合の結成後、十和田観光電鉄労働組合と名称を変更したが、漸次、脱退者が増えて現在は、二八名位に減少したこと、若宮は、前記のように、昭和三三年二月、衰退の一途をたどる第一組合の書記長に就任したものであること、その後、第一組合は、同年六月二日付で、原告に対し、労働協約、労働基準法の完全履行、夏季手当支給その他四項目を掲げて団体交渉を申し入れたが、拒否されたため、同月七日、原告に対してストライキを通告したところ、原告は同月一三日、第一回の団体交渉をすることに応じ、若宮は、第一組合の書記長として、これに出席したが、前記要求が容れられなかつたため、第一組合は、ストライキに入り、同月二九日、若宮は、他の第一組合員及び支援労働組合員らとともに、原告会社の七戸営業所前にピケラインを張つたこと、次いで、同年七月一九日及び二一日開催の人事異動についての労使協議会に出席し、更に、同年一一月二一日、原告からの労働協約破棄通告にかゝる団体交渉に出席したこと、また若宮は、前記昭和三三年七月二三日付で三本木駅助役から観光課勤務を命ぜられたのであるが、第一組合は、若宮ほか第一組合員一〇数名に対する原告の人事異動を不当労働行為として被告委員会に提訴し、同年一〇月二五日、原職復帰の救済命令を得たこと、しかし、原告は、右救済命令につき、中央労働委員会に再審査の申立をしたが棄却され、これにつき、更に、東京地方裁判所に対し、行政訴訟を提起したが、青森地方裁判所から若宮に関する部分につき緊急命令が発せられたので、原告は、右行政訴訟を争う意思を放棄して、右訴を取り下げ、右救済命令が確定したこと、以上の事実が認められる。右認定に反する原告会社代表者杉本行雄尋問の結果部分は、前掲証拠と対比して、にわかに採用し難い。

右認定の事実からすると、若宮は、終始、第一組合に所属して、その執行委員長成田一と行動を共にし、昭和三三年二月以降は、衰退の一途をたどる右組合の書記長として組合活動をして来たものであり、他面、原告は、第一組合を原告の経営方針に反する存在として敵視して来ていることが容易に窺われるのである。

(三)、若宮三吉に対する原告の懲戒処分の理由

原告会社の就業規則に左記のような規定が存すること及び第一組合の執行委員長兼十和田地区労議長の成田一が原告の承認を得ないで、昭和三四年四月三〇日施行の十和田市議会議員選挙の立候補者として届出をし、若宮三吉が同人の出納責任者になつたことは、いずれも当事者間に争いがない。

(兼職制限)

第一六条 従業員は次の場合には、会社の承認を得なければならない。

一、公職選挙法による選挙に立候補しようとするとき。

(懲戒減給)

第八四条 従業員が次の各号の一に該当するときは減給する。

但し、情状により譴責に止めることがある。

六、規則令達に違反したとき。

(懲戒解雇)

第八五条 従業員が次の各号の一に該当するときは懲戒解職にする。但し、情状によつて諭旨解職、降職又は減給に止めることができる。

一四、その他前各号に準ずる行為があつたとき。

(出勤停止)

第八六条 懲戒を要する者にその執行前に出勤停止を命ずることがある。

但し、出勤停止期間は原則として二週間以内とする。

前項の出勤停止期間は欠勤の取扱とすることがある。

次に、成立に争いのない甲第一号証(本件就業規則)、第三ないし六号証、第七号証の一、二、第一二号証の二、第三九号証、乙第二、三、四号証(たゞし、乙第四号証のうち、杉本行雄の供述記載はその一部)、乙第七、八、九号証、証人松尾良夫、浜中健治、東健次郎、成田一、若宮三吉の各証言、原告会社代表者杉本行雄尋問の結果及び本件口頭弁論の全趣旨を総合すると、若宮三吉は、昭和三三年一二月八日ころ、第一組合の執行委員会において、十和田地区労の要請に基いて、成田一を前記十和田市議会議員選挙の立候補者として推せんすることを提案して、その賛成決議を得、十和田地区労に対してその結果を報告、右同様成田を推せんしてその決議を得たこと、その間、若宮は同年一二月二五日、原告から、第一組合に対しては同月三〇日から発効する就業規則の交付を受けたこと、成田は、昭和三四年四月五日、十和田地区労の推せんを承諾し、同月一五日、原告会社の専務取締役佐々木大助に対して、口頭で、右十和田市議会議員選挙に立候補する意思を明示し、更に同月一七日、原告会社の社長杉本行雄に対しても右立候補についての承認を口頭で申し出たところ、書面の提出を求められ、書面を出せば承認を得られるものと考えて、第一組合名義で「公職選挙法による立候補について。」と題する書面を提出、翌一八日、十和田市選挙管理委員会に立候補の届出をしたこと、ところが、成田は、原告から、個人名義の承認願を出すことを求められたので、更に、個人名義の書面を提出したところ、同月一九日、立候補は好ましくない旨の原告の回答に接したこと、しかし、既に、成田は立候補の、若宮は、出納責任者の各届出を済ませた後であり、また、就業規則第一六条は届出義務を課したに過ぎないものと解釈して、右両名は、選挙終了後善処することとし、原告の承認を得ないまゝ選挙に臨み、同月三〇日の投票を経て、成田は、翌五月一日、当選したこと、そこで、原告は、懲罰委員会の答申に基いて、成田に対し同月一二日、同月一日付の懲戒解雇の意思表示をし、若宮に対しては、事実調査のためと称して就業規則第八六条により同日以降同月二五日まで(二週間)出勤停止(無給)に付し、同月二五日、社長杉本行雄が、若宮に対し懲罰委員会の答申書を読み聞かせたところ、若宮は、就業規則違反の事実を自認したので、同人に対し、就業規則第八四条第六号、第八五条第一四号違反として、同規則第八五条但書を適用して、同人に対し、金一、五〇〇円一月減給、並びに中央停留所勤務の降職転勤を申し渡し、「異議ないね。」と質問したところ、同人は、「異議ありません。」と答え、同日中央停留所へ赴いたこと、ところが、若宮は、同日成田と面談したところ、四月一七日に成田が社長と会見した際、社長が成田に対し、「立候補することは、憲法上定められてあるとおり自由だ。従つて、立候補を承認するしないはいえない。たゞ、社内に政治を持ち込むことは困る。」旨言明したことを聞知したので、同日付で、処分拒否通告書(甲第五号証)を作成し、翌二六日、中央停留所に出勤したところ、本社の東自動車部長から呼出を受けて本社に赴き、同部長から始末書の提出を求められたので、これを拒否し、右処分拒否通告書を提出したところ、社長に呼ばれて、同人が前日、就業規則違反の事実を認めた旨の書面の作成を求められてこれを作成提出したこと、原告は、同日、若宮に対し、更に、同人が原告の業務命令に違反したとの理由で、同日以降六月八日までの出勤停止(無給)を命じ、右期間経過後、更に、本件救済命令の写が原告に交付されるまで、二週間ごとに出勤停止(給与一〇〇分の六〇支給)を命じたものであること、以上の事実が認められる。右認定に反する証拠は存しない。

以上認定の事実によれば、若宮は、成田が十和田市議会議員の選挙に立候補するについて、成田とも意思を通じて主要な働きをした上、右成田の立候補についてまだ会社の承認を得ていないことを知りながら、その出納責任者となつたことは明らかであるが、若宮は、初めから、成田と、成田が会社の承認を得られなくとも、あくまで立候補することを共謀していたことまで認めるに足りる証拠はなく、以上認定事実からすれば、若宮は、成田の無承認立候補の行為をほう助したものと認めるのが相当であろう。

そこで、右就業規則第一六条一号の効力につき、検討するに、成立に争いのない甲第一号証(本件就業規則)、原告会社代表者杉本行雄尋問の結果を総合すると、右規定は、兼職制限の趣旨で設けられたものであることが認められるのであるが、しかし、労働基準法第七条は、「使用者は、労働者が労働時間中に、選挙権その他公民としての権利を行使し、又は公の職務を執行するために必要な時間を請求した場合においては、拒んではならない。但し、権利の行使又は公の職務の執行に妨げがない限り、請求された時刻を変更することができる。」と規定し、同法第一一九条によつて、右第七条違反行為について罰則を規定して右第七条の規定の内容の実現を期し、もつて、公民権の行使、すなわち国または地方公共団体の公務に参与し得る権利の行使及び公の職務の執行、すなわち、法令に根拠を有する公の職務の執行を保障しているのである。そして、右第七条に規定する公民権とは、参政権をもつて主たるものとするところ、右第七条はその一例として選挙権の行使を明文をもつて保障しているが、公職選挙法による被選挙権も、公務員のように特別の規定ある場合は格別、枢要な参政権の一であるから、選挙権と同様、右第七条の公民権に含まれるものと解すべきである。従つて、本件就業規則第一六条第一号は、労働基準法第七条が使用者に対し、労働者から公民権の行使及び公の職務の執行のための必要な時間の請求があつたときは、その拒絶を禁止することによつて、公民権を保障していること、すなわち、使用者に対する禁止規定たることに着目すれば、あながち無効のものであるということはできない。しかし、使用者は、右就業規則の規定にかゝわらず、労働者から公職選挙法による選挙についての立候補の承認を求められた場合には、これを拒み得ないものと解するのが相当である。

以上の説示によると、成田は、昭和三四年四月三〇日施行の十和田市議会議員選挙に立候補するに際し、原告にその承認を求めたのであるから、原告は、これを拒み得ないものというべきであり、成田はもち論、同人の行為をほう助した若宮も、就業規則第一六条第一号に違反したものとして懲戒処分に付されるべきものではないといわなければならない。

原告は、就業規則第一六条の規定を設けた根拠について、原告会社の前々社長小笠原八十美が会社を自己の選挙のために極度に利用し、企業の存立を危殆におとし入れたので、同社に政治を持ち込むことを避けるためである旨主張し、これを肯認する原告提出の証拠も存するけれども、被選挙権が労働基準法第七条の公民としての権利に含まれ、その行使が保障されていること等は、既述のとおりであるから、原告の右主張は、前記の結論を左右することはできない。

そして、前記説示から明らかなように、原告の若宮に対する減給、降職転勤の懲戒処分前後の出勤停止処分はいずれも右無効な懲戒処分の根拠とされた就業規則第一六条違反行為にその端を発して発展した事象であるから、これを一連の処分として観察するのが相当であり、若宮の前記行為が就業規則違反として懲戒処分の対象にならないことは前記のとおりであるから、結局、原告の若宮に対する本件懲戒処分を中心とする前後の出勤停止処分もその根拠を欠く無効のものといわなければならない。

(四)、若宮三吉に対する原告の処分と不当労働行為

原告の若宮に対する本件一連の処分がその根拠を欠く無効なものであることは、前記(三)説示のとおりであるが、原告と若宮三吉及び同人所属の第一組合との関係は、前記(一)、(二)説示のとおり、原告は、第一組合を原告の経営方針に反する存在として嫌悪し、第一組合の執行委員長成田一と終始行動をともにする同組合書記長の若宮に対してもすくなからず敵意を示し、出来得れば、第一組合の存在を無に等しからしめようと企図していることを窺うに充分であつて、結局、原告の若宮に対する本件一連の処分も、若宮が第一組合に所属し、かつ、その書記長の地位にあつて、執行委員長成田一と行動をともにしたこと、及び若宮のこれまでの正当な組合活動をしたことの故をもつて、不利益な取扱をしたものと推認するほかはなく、原告の若宮に対する本件一連の処分は、労働組合法第七条第一号の不当労働行為に該当するものといわなければならない。

(五)、原告の懲戒処分に対する若宮の承認と救済利益

若宮が、昭和三四年五月二五日、原告会社社長杉本行雄から減給、降職転勤の懲戒処分を告知されて、直ちに、これを承認したこと及び原告の若宮に対する右処分が無効なものであることは、いずれも前記(三)に説示したとおりである。そして、右に認定した懲戒処分たる無効な形成権の行使が被処分者の承認によつて有効となる法理は見い出し難いところであるから、被処分者において、後日、当該処分を争うことも許されるものと解するのが相当であるが、たゞ、被処分者の承認が、使用者の処分を将来において争わない旨の和解たるの性質を有する場合のように特別の事情の存するときには別であつて、被処分者において、後日、これを争うことはできないものと解される。しかし、本件においては、若宮が、原告の懲戒処分を将来においても争わない趣旨で承認したものではなく、原告会社社長の面前でその処分を争うよりも、直ちに、被告委員会に対して救済を求める意思を有していたものであることは、前記成立に争いのない乙第二号証のうち若宮三吉の供述記載と証人若宮三吉の証言によつてこれを肯認し得られるところであるから、若宮の承認は、未だ、右にいう和解ということはできず、その他右懲戒処分を争うことができないとする特別の事情もなく、従つて、後日、若宮が原告の処分を争うに至つたことも許されるものというべきである。原告の主張は採用できない。

三、結論

以上説示したとおりであつて、原告の若宮に対する本件懲戒処分を中心とし、その前後にわたる出勤停止処分を労働組合法第七条第一号に該当する不当労働行為であるとした本件命令は、まことに相当であつて、本件命令には、原告の主張するような取消原因となるかしは存しないから、原告の本訴請求は、理由がないものとして棄却すべく、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 野村喜芳 福田健次 野沢明)

(別紙)

命令書

青森県十和田市大字三本木字前谷地七十六番地

申立人 十和田観光電鉄労働組合

右代表者執行委員長 成田一

青森県十和田市大字三本木字下平二十五番地

被申立人 十和田観光電鉄株式会社

右代表者取締役社長 杉本行雄

右当事者間の昭和三十四年(不)第三号不当労働行為救済申立事件について、当委員会は公益委員木村美根三、同相内禎介、同坂本功、同楠美知行、同山本省一合議の上左の通り命令する。

主文

被申立会社は申立組合の組合員若宮三吉に対して為した左記処分を取消して原職に復帰就労させ処分の期間中同人が受けるはずであつた給与全額を支払え。

一、昭和三十四年五月二十五日言渡しの千五百円一月減給並びに降職転勤の懲戒処分

二、同月十二日から二十五日までの出勤停止処分(無給)

三、同月二十六日から同年六月八日までの出勤停止処分(無給)

四、同年六月九日以降の出勤停止処分の全部(給与百分の六十支給)

理由

申立人の主張の要旨

昭和三十四年四月十八日告示、投票日同年四月三十日の十和田市議会議員選挙に当り、申立組合執行委員長成田一は、申立組合及び十和田地区労働組合協議会の推せんによつて立候補し、組合書記長若宮三吉はその出納責任者となつた。而して、右選挙の結果成田一は当選し議員に就任した。

被申立会社は、成田一が会社の承認なくして立候補し公職に就いたのは、就業規則第十六条違反であるとして、同年五月十一日懲戒解雇を申渡し、且つ、若宮三吉が出納責任者となつたのも同様就業規則違反であるとして、まず、五月十二日から二十五日までの出勤停止処分(無給)に付し、次いで同月二十五日千五百円一月減給及び中央停留所勤務に降職転勤の懲戒処分を申渡し、更に翌二十六日から九月十四日まで継続して二週間ごとに出勤停止処分(六月八日までは無給以後賃金百分の六十支給)を加えた。

然し、成田一が立候補し若宮三吉がその出納責任者となつたのは、元来組合員の総意による正当な組合活動の一部である。殊に成田一は右立候補に当つて会社から、黙示の承認を得たものであるし、且つ又就業規則第十六条は従業員の政治活動被選挙権の行使等を禁止する趣旨のものではなく、届出義務を課したものと解すべきであるから、会社が両名に対し右のような厳格な処分を加えたのは、畢竟、名を就業規則違反に藉り、実は組合の弾圧を計り、一挙にこれを潰滅させようとする支配介入であつて、労働組合法第七条第一項第一号及び第三号の違反行為である。又、若宮三吉は昭和三十三年二月以来組合書記長として、指導的立場にあつて活溌に組合活動をしていたものであるから、会社はこれに対する報復の意味をも含めて敢えて右処分をしたものである。

よつて、若宮三吉に対する処分の全部を取消し原状に回復するよう救済を求める。(成田一は解雇無効を主張し会社を相手取つて青森地方裁判所に雇傭関係存続確認の訴を起しているから同人については救済の申立をしない)

被申立人の主張の要旨

被申立会社が若宮三吉に対して前記のような処分をしたことは認める。

会社は過去の苦い経験から、従業員の立候補その他の政治関与行為はできるだけ抑制する方針で、昭和三十三年九月施行の就業規則には特に従業員が公職選挙法による選挙に立候補しようとするとき及び公職に就任しようとするときは、会社の承認を必要とする旨の規定を設けて、右の政治関与行為抑制方針の徹底を計つて来た。

それ故、組合執行委員長成田一が立候補の後、その承認を求めたのに対し、会社は明確にこれを拒否し、併せて無承認立候補は就業規則違反であることを指摘したのであつて、決して黙示の承認を与えた事実はない。然るに、成田一はこれを無視して選挙運動を続けて当選し公職に就いた。これは最も重大な就業規則違反である。

若宮三吉は組合書記長として成田一の立候補に協力し、且つ、会社が立候補承認を拒否したことを知りながら出納責任者となり、選挙運動の重要事務に参画したのであるから、共謀者として成田一と共に就業規則に違反したものである。会社は現在組合と何等紛争対立の関係はなく、従つて組合に対する支配若しくは介入の意思はあり得ない。若宮三吉の組合活動についても全く関心がない。なお、成田一の立候補、若宮三吉の出納責任者となつたことが、正当な組合活動の一部であるとの主張は否認する。労働組合法は労働者の政治活動の保護を目的とするものではない。

以上のように若宮三吉に対する処分は、就業規則違反によるものであつて、組合活動に対する弾圧又は不利益取扱ではないから組合の救済請求は棄却さるべきである。

当委員会の判断

第一、審査の結果まず次の事実を認定する。

一、申立組合執行委員長成田一が十和田市議会議員の選挙に立候補当選したこと、同人が懲戒解雇されたことは組合主張の通りである。当時成田一は就業規則により会社に立候補の承認を求めたが会社はこれを拒否し、承認を与えなかつたことは、被申立会社主張の通りである。

二、若宮三吉は昭和三十二年二月以来組合書記長の職にあり、成田一が立候補する際これに賛助協力し、選挙運動に当つては、会社が立候補承認をしないことを知りながら出納責任者として選挙運動に従事した。されど平常のように勤務し会社に対する労務提供には何等支障を与えなかつた。

三、会社が若宮三吉に対して為した処分及びその処分の理由とするところは次の通りである。

(イ) 成田一の立候補及び選挙運動に参画した行為について、懲罰の必要ありとし就業規則により事前処分として五月十二日から二週間の出勤停止その間無給

(ロ) 前記行為は成田一と就業規則違反を共同遂行したものであるとして、五月二十五日付千五百円一月減給並びに中央停留所勤務に降職転勤の懲戒併科

(ハ) 若宮三吉は就労はするが右の懲戒申渡は拒否するとの態度を示したので、重ねて懲戒の必要ありとし、事前処分として五月二十六日から二週間の出勤停止その間無給

(ニ) 五月三十一日、組合は本件不当労働行為救済申立をしたので会社は若宮三吉に対する第二次懲戒は当委員会の命令あるまで保留することとしたが、出勤は不適当であるとして、六月九日から九月十四日まで二週間毎に区切つて出勤停止その間賃金百分の六十支給

なお、会社は労働委員会の命令あるまで右出勤停止処分を継続する方針である。

以上四つの処分はその理由に若干の差はあるが、結局無承認立候補に援助協力を与えたことに対する懲戒を中心として、その前提又は附随として為されたものであるから、一連の処分として綜合観察さるべきものである。

第二、以上認定した事実から当事者の主張を考えて見ると、まず組合は組合の議決又は推せんによつて組合員が立候補し又は出納責任者となることは、組合活動の一部であると主張し、進んで、就業規則によつて被選挙権の行使を禁止することは許されないと主張するのであるが、これ等選挙関係行為は必ずしも常に労働組合法上の正当な組合活動と言うことができないのみならず、立候補及びこれに伴う公職就任は従業員の労務提供に重大な影響を及ぼすから、会社が就業規則等によつてこの種行為に対し何等かの規制方法を講じるのも正当な措置と認むべきである。

従つて、本件就業規則第十六条が果して被選挙権の行使を禁止する趣旨のものと解すべきかどうかは兎も角として、少くとも、成田一は会社の承認のないまま立候補し、若宮三吉はこれを知りながら選挙運動に参画したことは前認定の通りであるから、会社としてこれを看過放任し得ないとしたことも首肯すべきところであろう。

けれども、若宮三吉のように立候補者本人ではなくこれに賛助し協力したものの責任を考えるに当つては、その行為が会社に対する労務提供にどのような影響を及ぼすかという点が判断の中心となるべきである。若宮三吉が選挙運動中も平常と変りなく勤務し、労務提供に全く支障がなかつたことは会社もこれを認めるところであり又当選者本人でないから将来の労務に影響を与えることも考えられない。そうしてみると、仮に同人の行為が会社主張のように就業規則違反であるとしても、前記一連の処分は極めて苛酷で、到底、その行為に相応する処分であるとは認めることができない。同人に対する処分は、要約すれば減給降職の懲戒併科、前後四週間に亘る無給出勤停止及び九月十四日まで十四週間に達しその後も引続くものと考えられる賃金百分の四十減額出勤停止ということになり、然も若宮三吉には全期間を通じて就労の意思があつたものと認められる。これに対する前記処分は労働者を生活不可能に陥らせるのみならず、労働基準法にも会社の就業規則にもその処分の合理的根拠を発見することができないのである。

第三、それでは、会社は何故あえてこのような苛酷な処分をしたのであろうか。ここで、会社と組合及び若宮三吉との従来の関係を考えて見る必要がある。この点については審査の結果次の事実が明かである。

昭和三十二年春以来組合と会社との労資関係は円滑を欠き同年八月には全面ストライキが行われ、その後も、給与、労働協約、組合員の取扱等をめぐつて紛争が続き両者間の溝は深まるのみであつた。その間、昭和三十二年十二月組合脱退者によつて会社と協力的傾向の十和田観光電鉄従業員労働組合(第二組合)が結成されたが申立組合は会社が組合の切崩しをなし第二組合の結成に援助を与えたとして、当委員会に救済を申立てた。その結果、会社の行為は支配介入による不当労働行為と認められ、昭和三十三年五月二十六日救済命令が発せられ、この命令が確定した。

次いで、昭和三十三年七月会社は組合書記長たる本件の若宮三吉外十数名の申立組合の組合員の転勤を発令したところ組合は不利益取扱であるとして当委員会に救済を求めた。当委員会は組合の右主張を認め、昭和三十三年十月二十五日若宮三吉を含む十三名の組合員について原職復帰の命令を発したが会社はこれを履行しない。この命令は会社の再審申立により現在未確定である。

以上の次第で、申立組合は第二組合結成以来脱退者相次ぎ当初約三百名の組合員は現在わずか二十七、八名に過ぎず、第二組合の下風に立ち、効果的な組合活動はなし得ない実状にある。

以上が組合と会社との従来の関係の概要であるが、これから見ると、両者の対立反目はかなり深刻であつて、殊に第二組合結成以来ますますその度を加え、会社は申立組合及び組合員に悪意を抱きその組合活動を嫌つていたことが容易に窺われる。而して、若宮三吉は衰退の一路をたどる組合の書記長として、組織の維持強化に努力し一方会社に対する交渉及び抗争に当つては、常に指導的立場にあつて、組合活動を為して来たもので、会社が同人に対し前記のような極めて苛酷な処分を加えた決定的原因は、実にここに存すると判断せざるを得ない。逆に考えれば、若宮三吉が仮に申立組合の書記長でなく、又過去に於て会社と抗争した経歴がなかつたならば、かほどまで苛酷執拗な処分はなかつたものと推認されるのである。

なお、若宮三吉について、昭和三十三年十月二十五日当委員会に於て原職(三本木駅助役)復帰の救済命令が発せられたことは前述の通りである。然るに、会社は労働組合法第二十七条第五項但書中労委規則第四十五条を無視して未だに、その命令の履行をしないのみならず、今また重ねて降職転勤を命じたのは、この一点に於ても使用者としての公正な態度を疑わせるに十分である。

第四、以上会社の若宮三吉に対する一連の処分は、畢竟するところ、他の理由に藉口して正当な組合活動について不利益な取扱をしたものに外ならないのであつて労働組合法第七条第一項第一号に該当する申立組合の請求はこの点に於て理由がある。よつて、他の争点に対する判断を省略し主文のように命令する。

昭和三十四年十月七日

青森県地方労働委員会

会長 木村美根三 印

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例